「都市圏」、これは都市について考える人のなかではごく一般的な単語だ。しかし正確な定義や細かい用法などはあまり知られてないと思う。
先日発足したアヒル(@Duck_Geo_)さんの「都市圏を考える同志会」に参加したので改めて「都市圏」とは何かまとめてみたい。
「都市圏」のはじまり
雑誌記事索引データベースざっさくプラス(http://zassaku-plus.com/)を用いて検索すると(図1)のような結果となった。
図1 ざっさくプラス検索結果
「都市圏」の初出は1950年であり、その後90年代半ばまでは使用例は少なく、90年代後半以降使用例が爆発的に増える。なお、CINIIでの検索結果もほぼ同じ推移となっている。
1950年、確認できる「都市圏」の初出は地理学評論に掲載された木内信蔵氏による抄録で、1949年に発表されたドイツ語論文の翻訳である『トウオミーネン著「トウルク市の勢力圏--西南フインランドの都市圏との関連に於て」』となっている。原著のタイトルは『Tuomienen, Oiva: Das Einflussgebiet der Stadt Turku.
Ins System der Einflussgeblete SW-Finnlands』となっており、都市圏に当たる部分は”Einflussgeblete”で、辞書を引いてみると勢力圏といった意味である。
ここで紹介されているのは現在の通勤圏としての「都市圏」ではなくクリスタラーの中心地理論を代表とする商業的な勢力圏として「都市圏」の語を用いている。
翌1951年には山鹿誠次氏が『衞星都市としての浦和の機能—大都市圈の擴大に伴う地方都市の變質—』を同じく地理学評論に寄稿している。この中では商圏と通勤圏両方の見方から浦和に対する東京の影響を論じており、早くも通勤圏としての「都市圏」への変質が認められる。
1953年に渡辺四郎氏が東北地理に寄稿した『 通勤交通よりみた福島市の都市圈構造』では現在と同じく通勤率を用いて都市圏を定義しており。現在に続く「都市圏」定義の源流はここといってよいだろう。
また、同年に総理府統計局(現在の総務省統計局)の論文集である統計局研究彙報に川島博氏が『都市及び都市圏に関する一考察-統計用新地域分類設定のために-』という論文を寄稿している。残念ながらこの論文はインターネット上で公開されていないため内容はわからないが、発表媒体と副題を鑑みるに国勢調査に「都市圏」の項目が作られる契機となったものと考えられる。
以後都市圏の考え方は徐々に広がっていったと考えられる。
参考文献
木内信蔵(1950)『トウオミーネン著「トウルク市の勢力圏--西南フインランドの都市圏との関連に於て」』地理学評論,23-9
山鹿誠次(1951)『衞星都市としての浦和の機能—大都市圈の擴大に伴う地方都市の變質—』地理学評論,24-8
渡辺四郎(1953)『 通勤交通よりみた福島市の都市圈構造』東北地理,6-2
※川島博(1953)『都市及び都市圏に関する一考察-統計用新地域分類設定のために-』統計局研究彙報,5
修正履歴
5月2日13時
人名ミス訂正(木下→木内)
5月4日0時
次回予告内容訂正(「都市圏」の定義→「都市圏」の問題点)
5月15日2時
2.「都市圏」の問題点の執筆の見込みが立たないためナンバリング削除。並びに予告削除
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