2019年5月5日日曜日

道路元標と私の研究方針について

ここでは2019年5月5日現在の私の方針について述べる。今後方針転換があれば適宜修正していく予定である。


道路元標とは
道路元標は大正8年(1919年)の旧道路法の関連法である道路法施行令によって規定されるものである。日本全国各市町村に一つずつその市町村の道路の原点として設置されたものであり、市町村道のの距離程を測る時などに用いられた。当時存在していた1万を越える市町村に須らく設置されたとされる。(武部2015)

形状については大正11年(1922年)の内務省令によって規定され、縦横25㎝で高さ60cmで上面はかまぼこ型にするとされる。前面(妻側)には○○市町村道路元標と刻む。
その後1952年の現行道路法施行によって道路元標の起終点としての役割も終え、維持する根拠法を失った道路元標は急速に失われていくことになる。現在の残存数は2000弱と言われている(佐藤2014)。
標準的な形状の道路元標 兵庫県尼崎市、大庄村道路元標

道路元標研究は趣味で行っている方が多く存在し、主なものでも以下の4方のものがある。

国道901さんの

穴蔵さんの

TTSさんの

池澤重幸さんの

これらのHPの研究成果は素晴らしいものであり、もはや私がわざわざ研究と銘打って何かやることはあまりないようにも見える。しかし道路元標研究には一つ大きな落とし穴がある。
それは文献にまとめられているものが極めて少ないという問題だ。いうまでもなくネット上の情報は脆弱であり、いつ失われるかわからない。また学術的に認められないため資料として引用しづらいという問題もある。

現在確認できる文献は地誌として限られた範囲を扱ったものと道路や石碑などを扱った書籍の中で多少触れられてるに分けられる。地誌として扱ったものは日本全国すべての地域であるわけではないため結局網羅率に難がある。文献中に多少触れられているものについては当然記述量に限りがあるため満足いくものではない。

現在確認できている文献は以下である。なお日本橋の日本国道路元標のみ触れている文献はいくらでも存在するがここでは割愛する。

地誌(県レベル)
今泉明正(2015)『福島県の道路元標―里程元標・一里塚』歴史春秋社 ●
上田倖弘(2000)『「道路元標」を尋ねて』弘道社 ※奈良県 ●
内山謙治(2004)『道のしるべー失われゆく街道の遺産「道路元標」のゆくえ』私家版 ※栃木県 □
藤原勝永(2002)『兵庫県の道路元標』神戸新聞出版センター 〇

地誌(市町村レベル)
若林泰(1958)『宝塚の道路元標』地方史研究35巻1号 ●
荒木勉(2008)『尼崎の道標を訪ね歩く』●
吉川町教育委員会(1999)『ふるさとよかわ第9号 吉川の道標』p73●
高砂市教育委員会(1998)『ふるさとの文化財冊子2 高砂の道標』p38-43●
明石市文化・スポーツ部文化振興課文化財係(2015)『あかし文化遺産』p70-73●
田村昭治、波毛康宏(1985)『淡路島の道標』p135-138●
藤本百男(2016)『ふるさと加東の歴史再発見シリーズ Ⅲふるさと加東の道標・道路元標
─ 道標からふるさとの「道」の歴史を考える ─』p1-6● pdf

触れられている文献
伊東宗裕(2004)『京都石碑探偵』p57-69●
佐藤健太郎(2013)『あの道この路(4)道路元標(どうろげんぴょう)を訪ねて : 街角に残る小さな史跡たち』道路 : road engineering & management review (868) p44-47
佐藤健太郎(2014)『ふしぎな国道』講談社 p214-224 ●
武部健一(2015)『道路の日本史ー古代駅路から高速道路へー』中公新書 p164-170 ●


よって、私の目標は道路元標を扱った学術的な文章および文献の作成にある。
また、佐藤(2014)でも指摘されている通り道路元標の設置位置は何種類かに分けられることが分かっている。これについては私は分類パターンの提案を当ブログの道路元標の立地を類型化という記事内で行っている。さらに若林(1958)では道路元標の形にも地域的な傾向があることが指摘されている。こういった道路元標一個一個の情報を収集し面的に把握・分析することは地理を専門に扱った私独自の視点となりうるのではないかなと考えている。

そして、これらの活動によって道路元標の知名度が少しでも上がれば僥倖である。


また、道路元標の文献資料についての情報は常時募集しています。何かありましたら私のツイッターかブログのコメント欄にお願いします。


文献一覧の記号
●:入手済(当該ページのみのコピーも含む)
□:未入手未確認

2019/11/24 文献一覧更新(吉川、高砂、明石)
2020/9/13 文献一覧更新(加東)








4 件のコメント:

  1. 加東市の道路元標・道標をまとめられた資料(pdf)がネットにあります。
    ご参考まで。
    http://hyakuo.net/infomation/katou3.pdf

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    1. 遅くなりましたが情報ありがとうございます。資料確認の上更新しました。

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  2. 東京都の品川町道路元標(荏原郡)が品川歴史館に保管され庭園に立てられています。
    この元標はなぜかどのサイトにも記載がありません。

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  3. 歴史館に照会したところによると、原位置は品川区南品川1-4、品川橋のたもとであったとのこと、ここは旧東海道にあたります。

    また別件ですが、池澤重幸氏はすでに故人となられています。

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